「大化け物=縦横全面男」との出会い〜面白かった、鎌田東二ゼミ「没後70周年 出口王仁三郎の霊的冒険」①

おはようございます。
昨日、久しぶりの自由が丘で、鎌田東二先生のゼミ「没後70周年 出口王仁三郎の霊的冒険」に参加してきました。

以下、鎌田先生のお話を聞いたうえでの僕の解釈ですが。。。(ざくっとまとめてるのでわかりにくかも)

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出口王仁三郎、そして出口ナオ。

変性女子と変性男子。瑞(みず)と厳(いず)。
この二人の対立と融合が「火水(かみ)の戦い」。。。

日本の神話に同定させた場合、

・王仁三郎=スサノオ
・ナオ=アマテラス

ただ、スサノオ(悪)、アマテラス(善)の対立という記紀の世界観(天の岩戸神話)をひっくり返す。。。

つまり、天空(高天原)ではなく大地(大海原)にこそ中心があるという「地を這ったものでしかわからない世界観」を、王仁三郎とナオ、陰陽の相克を経て確立させ、現実世界に展開させていった。。。

ここに大本(大本教)の真骨頂があるんでしょうね。

質問タイムが短くて確認できませんでしたが、これって西洋哲学の歴史に当てはめた場合、同じ時代のニーチェの実存哲学ともかなり重なってきます。

ニーチェの場合、キリスト教に対するアンチテーゼとして古層の神=ツァラトゥストラ(ゾロアスター)を復活させ、「神は死んだ」と宣言したわけです。

国家によって作られた神話(聖書)の奥に、生き生きと躍動する生命が宿っている。。。それを蘇らせるために必要なのが「立て替え・立て直し」。

それは自分自身、社会、宇宙とすべてシンクロし、フラクタルに展開されている。。。だから、自分が変われば世界が変わる「雛型神劇」が描かれるわけです。

ここでは書ききれないエッセンスがいろいろと詰まった、とても面白い講座でしたが、いちばん印象に残っているのは、つかみの部分でお話のあった南方熊楠、宮沢賢治、出口王仁三郎の対比かな。

縦と横を統合させた「全面男」が王仁三郎であるという鎌田先生のとらえ方は、ホント白眉でした。

統合させるということは、観念と現実が一つになった強い力が現実社会のなかで発揮されるということ。

それが大正〜昭和初期の大本の爆発的な発展とクロスし、王仁三郎は「大化け物」と呼ばれたわけです。

ちなみに、王仁三郎の世界戦略の要となった道院(紅卍会)の流れ、その根底にある霊学、言霊学を受け継がれたのが種本先生であるという。。笑

今日はこれから、その種本先生の講座。

恭子さんと二人でふらっと参加した講座でしたが、意外なほどに深いつながりを感じた一時でした。

*図は鎌田先生のお話をもとに僕が勝手に作成したものです。

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