統合の夢〜ペルー・インカの旅より

人類は長い間、ずっと夢を見てきた。

それは世界をひとつにしたいという、
自分の見ている世界を統合したいという、壮大な夢。

ただ、目の前にはさまざまな壁が存在していた。

その壁は言語の壁であり、国境の壁。
理想主義者はそれを取り去りたいと夢を描き、その夢を語り出した。

言語の壁を越えようという動き。

20世紀初頭、地球という星の全体が把握され、
世界にさまざまな国々が存在することが認識されはじめた頃、
統一した言語がほしいと思った人たちが現れた。

エスペラントと名づけられたその言語は、
さまざまな言語の特徴をとらえつつ、そのどれでもない。。
自分の生まれた国とはちがう言葉。

それを公平に、誰もが第二の言語としておぼえ、
世界じゅうの人とつながっていく。

それはとても素晴らしい夢だったけれども、
残念ながら、大きな輪には広がっていかなかった。
いま、そんな言葉があったことすら知らない人がたくさんいる。

国境の壁を越えようという動き。

目に見えない世界を学ぶ人たちは、それをワンネス(Oneness)と呼んだ。
すべてはひとつ、そこに人種も国境も関係はない。
ぼくたちはひとつなんだ、同じたましいから分かれ出たんだ。

この思い、この感覚を多くの人と分かち合いたい。

それもまたとてもすばらしい夢だったけれども
残念ながら、いまだに国境はなくなっていない。
国境をはさんでぶつかりあったり、憎しみあったり、
相変わらず争いごとは続いている。

言語は無数にあるし、国境はいつまでもなくならない。

その現実に絶望した人もいるかもしれない。
でも、絶望しつづけることはほんとうに正しいことだろうか?

ある人は言った、それは概念で乗り越えられるのだと。

概念? そう、世界観と言い換えてもいい。

古来、人類は3つの概念をつくりあげてきた。
ひとつが宗教であり、もうひとつが科学、そしてもうひとつが哲学。

宗教は、ワンネスの世界をつたえる役割を本来は担っていた。
でも、キリスト教も、仏教も、イスラム教も。。。さまざまな宗派に分かれ、
いまだに世界はつなげられていない。

宗教は世界言語にはなりえない。

旧来の宗教から抜け出し、ワンネスに立ち返った人もいるけれども、
彼らもまた少数であり、人と人をつなげる力にはなっていない。

こうした宗教の限界を打ち破る概念として、
近代以降、世界言語として大きな力を持ったのが科学だった。

科学者によって見出された自然の法則は、
世界の共通言語として、どの国のどの民族であっても共有できる。。。

それは70億に膨れ上がった人類にとって、
信じるに値する概念、理解可能なワンネスであり、
あたらしい宗教であるとも言えた。

無数の科学的事実をつむいでいけば、人はいつしか真理に到達できる。

近代以降、そう強く信じられたけれども、
残念なことに、科学にはある致命的な欠陥がひそんでいた。

ロジックをロジックたらしめるには、
ワンネスの世界を細分化し、そのひとつひとつに意味を与えなくてはならなかった。
それはワンネスの世界を忘れる結果をもたらした。

細分化はまた新しい壁をこしらえ、概念そのものが壁になった。

同じ頃、哲学の世界でもおなじ壁が立ちはだかっていた。
いや、人が世界の認識をはじめた瞬間、壁は生まれていたものかもしれない。

わたしとあなた。主観と客観。見ている自分と見ているもの。

両者を昇華させ、高い次元でつなげようとする弁証法は、
哲学世界の最大の発明と賞賛されたけれども、残念ながら役に立たなかった。

ヘーゲルが見た夢は統合をもたらさなかった。

なぜならいくら昇華させたところで、
統合された場所にたどりつける保証なんて、どこにもないわけだから。
99点の先に100点があるなんて幻想なのだから。

たったひとつ欠けていても、それは《すべて》ではない。

はじめからわかっているという感覚。
100に近づくことでなく、ゼロになることが求められた。

高く積み上げて天に届こうとする意思より、
そのすべてをいったん壊しゼロになる、まったく逆の発想が求められた。

もともとわかっている、感じている。

それは確かなものなのか? 証拠はあるのか?
バラバラに分けられた世界の人たちは、まずそう疑った。

その声をだまらせるには、自分自身がまず積み上げたものを清算し、
ゼロになること、そこから世界を見つめること。。。

数十億年にも及ぶ長い旅から帰って、
生まれた場所からもう一度世界をとらえなおすプロセスが必要だった。

そこに映る世界がワンネスだと言うのならば、
その世界とつながった人たちこそがロジックに目覚め、
言葉によって、文字によって、感じとった世界を描き出さなくてはならない。

言葉なんて不完全だと馬鹿にしてはいけない。
人の認識なんて限界そのものだと諦めてしまってもいけない。

なぜなら、それこそが壁なのだから。

自然科学と人文科学をつなげ、
身体のウチとソトをつなげ、意識と肉体をつなげ。。。

人と人、人と社会、人と地球、人と宇宙をつなげていく。

人が知的に感じること、
知的に感じる以前に感じていること。

それだけでない、人が生きて食べていること、
食べて元気になること。

すべてを統合させた世界像をつくる。
それは人類がまだ成し遂げていない夢であり、革命だった。

ロジックを厭うワンネスは、
つながっている自分を優位な場所に置き、
つながっていないものを切り捨て、世界を小さくさせてしまった。

ワンネスを厭うロジックは、
細分化によって無数の頭でっかちを生み出し、
正しいか正しくないか、対立の火種をつくりだしただけだった。

言語も国境も関係ないのであれば、
そう、概念が本当に世界をつなげるのであれば、
自己のなかにすべてを包含させ、そのすべてのなかから、

もう一度! 世界を再生させる。

崩れようとし、壊れようとし、悲しみと怒りに包まれた世界に、
ひかりと希望がもたらされるような。。。

すべてを包み込む、それこそが宇宙なのだと、
それこそが生を拡充させ、生きる意味と価値をつくりだす、
自己の生きる世界そのものなのだと。

世界について学ぶのであれば、そこからすべてを感じとろう。

真実を探求しようとするのであれば、
鎖につながれた場所にとどまらず、せまい部屋から出て、
統合された場所で世界を感じよう!

ちっぽけだっていい、無力だっていい、
悲しくたって、みじめだっていい。

いまの自分がそうであったとしても、
こうありたいというつよい意思のなかで生まれたもの。

それこそがあたらしい言葉、
生体コミュニケーション論と呼ぶべきあたらしい概念、
世界を知る学びの体系。

それらをあたらしい宇宙の言語とし、
たくさんの言語が操れなくても、国境が存在しつづけても、
その壁を軽々と越えていけるような。。。

僕はそこに向かっていく。
僕とつながるすべての人たちと一緒に。

そして創造する、
過去になかった新世界、フロンティアを。

それは陰陽を超えた、二元論の向こうにある世界。

先人たちが夢見た世界、苦しみと憎しみのなかで、
それでも信じつづけた世界。

それをただの観念としてではなく、
いまこの瞬間に夢をかなえ、現実に変えていく。
地に足をつけつつ、世界を俯瞰し、大きく優しく包み込んでいく。。

統合の夢は人類の夢。

それは必ず叶えられる現実。創りあげられる世界。

僕はそこに向かっていく。
僕とつながるすべての人たちと一緒に。

愛とやさしさをたずさえ、言葉と文字をツールにして。

長沼敬憲(Macorin)

たましいの世界へ向かう人たちと
あたらしい世界を創造し、わかちあう。