「フードジャーニー」ペルー編⑦〜ボリビアのティワナク遺跡からアユマルカの「異次元の扉」へ

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「フードジャーニー」ボリビア編、2回にわたって行程をたどってきましたが、今回から再びペルーへと戻り、チチカカ湖畔にあるレイアさんイチオシのアユマルカへ。。。

ここは“異次元の扉”と呼ばれる謎の巨石群が知られている、とてもふしぎな場所なのですが。。。

まずこちらを紹介する前に、宿泊地のプーノを出発して最初に立ち寄ったティワナク遺跡から。
ご覧のようにまだボリビア国内なので、正確にはペルー編の一歩手前にあたりますが、気にせず追いかけていきます。笑

ポイントになるのは、プレインカの代表的な遺跡であるという点。
これまでインカ時代とされる遺跡を数多くめぐってきましたが、旅の後半にいたり、よりディープな場所へ。。。

この文化の起源は、紀元前にまでさかのぼるとされるがまだはっきりとはわかっていない。

ティワナク独自の文化が形成されてくるのは、紀元前1-2世紀ころからであるが、その文化が広範囲に広がり始めるのは紀元後400年頃からである。

その最盛期は、おおよそ750年-800年ころから1000年前後-1100年頃で、その頃になると、北はペルー領のチチカカ湖北岸や現在のモケグア県、南はチリのサン・ペドロ・デ・アタカマやアルゼンチン北部、東は現在のボリビアのコチャバンバ地方にまで影響が及んだとされている。

この遺跡は宗教的巡礼地であり、普段は人々が住むことのない場所としばらくの間、考えられてきた。

標高が4000 m近くあり、ほとんどの食用栽培植物は育たない。このような地域では、多くの人口をまかなうだけの食糧の生産もできず、国家レベルの複雑な社会など成立しようがないと長い間思われてきたのである。

しかし、近年の調査によって、この遺跡の周囲にはかなりの住居址が存在していることが確認され、当時は都市的様相を呈していたことが次第に明らかになってきた。

Wikipedia「ティワナク」より

要は、アンデス文明などといっても、わかっているのは最後のインカ帝国の200年くらいで(それも謎が多いわけですが。。)、それ以前となると霧に包まれたような感じになるという。

で、このティワナク遺跡にしても、いったい何のために、なぜつくられたか、よくわかっておらず。。。

ただ、引用先にもあるように標高は相変わらず高く。。。そう、ここも富士山クラスの高地なわけです。体のほうはすっかり慣れちゃいましたが。。。笑

チームレイア(?)のメンバー間ではさまざまな仮説をめぐらせ、おおよそのイメージを共有しましたが。。。

ともあれ、インカの歴史というのは、プレインカの長い長い時代を土台にして成り立っている、氷山の一角にすぎないのだと改めて感じさせられました。

氷山の一角を顕在意識としたら、そこは集合無意識の世界。。。

封印され、忘れ去られてしまったものを再び思い出す、そこに歴史とふれる旅の面白さがあることを改めて感じます。

このティワナクを経てペルー国境を越え、次に訪ねたのが、前述したハユマヌカという謎の巨石群。

ここはある意味でティワナク以上に謎に満ちた場所なのですが。。。ふっと現れた土地の若者の導きで、さまざまな「答え」が引き出すことができました。

↓こちらがソクラテスというこの地に住む、ふしぎな案内人。
物静かで知性的な若者で、ひいおじいさんから受け継いできた土地の伝承を事細かに僕たちに語ってくれました。

ひとつだけカギになる話をすると。。。この土地には数十年前までにはコンドルがよく飛んでいたということ。

コンドルはヘビ、ピューマとともに、ペルーでは神の使いであり、象徴。

ソクラテスは「ピューマの顔、ヘビの体、コンドルの羽が合わさって龍になる」と語りました。
プレインカのさらにプレにあたる時代、まだこの土地の信仰が体系化される前、龍に象徴される土地を守るエナジーが存在し、そのエナジーそのものが信仰されていた。。。

彼はこうも言いました。

「コンドルがまたやってくるのをずっと待っている」。

その日はそう遠くない気がしました。バラバラに分けられていたものが再び統合され、ひとつになる日が近づいています。

彼と会った瞬間、僕は「ああ、ペルーの宮沢賢治」と思ったなあ。笑

こちらは、異次元の扉を超えた向こうにあった「たまご岩」。ここもまた、陰陽の統合の場所。。。

旅はいよいよ終盤、すでにいますべての行程を終えて、この一文をまとめていますが。。。次回、クライマックスのコンドルの谷での出来事、そして全体の総括をできたらと思っています。

さあ、朝の集合時間までもう少し!

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