「フードジャーニー」ペルー編③〜ナスカの地上絵とマリア・ライヒェの生涯。

daily

「フードジャーニー」ペルー編、3日目。今日は砂漠のオアシス、ワカチーナからさらに南下、有名なナスカの地上絵を見てきました。

ナスカの地上絵自体は小学校の頃から知っていましたが、ナスカ周辺の地理も歴史もほとんど学んだことはなく。。。実際に現地を訪れたイメージとしては、とにかく何もない高原の砂漠地帯がひたすら続いていく感じ。

この地にはかつてナスカ文化が栄えたことになっていますが、日本人の感覚では、

「そもそも、こんなところに人が住んでいたのか〜」

と思うようなただ広い平原に、地上絵と称する巨大アートが点在していて、しかも、それは空から見ないと全容が確認できない。

ナスカの人々は、西暦1年から700年頃にかけて、地表の酸化した砂利を30cmほど除去して、その下の白っぽい土を露出させるという方法で、1000点以上の地上絵を描いた。

年間降水量が25mmに満たない乾燥した砂漠では、長さ数kmの直線や、幾何学図形や、動物をかたどった図形は、2000年近く変わらずに存在し続けることができた。

学者がナスカの地上絵に目を向けるようになったのは、商業飛行がさかんになった1930年代以降である。地上絵が巨大すぎて、上空からしか全貌を確認できなかったからだ。

それ以来、地上絵の起源について、天文カレンダー説から戦いの儀式に関連した記念碑説まで、多くの仮説が提案されている。

ナショナルジオグラフィック記事より

証拠が出せないので学問レベルの仮説を出すのは難しいけれど、ここに《宇宙人》が関与していたっていいと思う。

大事なのは自分の持っているモノサシで簡単にわかるようなことって、この世界ではとても少ないのだということ。

ひたすら続くハイウェイ、車窓には時々集落、大きめの町、果物などを売る露店なども現れては消え。。。正直、こんなところで暮らしているのか〜と思う自分がいたりするわけです。

でも、レイアさんによると「ペルーの人たちの幸福度はすごく高い。何もない生活をそもそも不幸と思っていないから」。

こういう話は時々耳にするけれど、実際にその空間に身を置いてみると、いろいろなことが肌でわかってくる。

決めつけること、思い込むことの危うさ。そうやって得られる安心感の裏には、この世界のつながりを遮断し、《豊かさ》を壊してしまうリスクがあることに改めて気づかされます。

個人的には、「地上絵って言っても結構小さいんだな〜」というのが感想でしたけど。

それから、今回の旅で初めて、ナスカの地上絵を生涯にわたって研究し、その名を国際的に知らしめたマリア・ライヒェ(1903〜1995年)という女性研究者のことを知りました。

以下、備忘録も兼ねてWikipediaから関連箇所を抜粋しておきます。

1903年にドレスデンで生まれ、ドレスデン工科大学にて数学と天文学、地理学と外国語を学ぶ。

1932年に29歳でペルーに渡り、クスコにあるドイツ領事の子供たちのナニー兼家庭教師として働き始める。

第二次世界大戦が勃発した際、彼女はドイツに帰国しない決心をし、ナスカ砂漠の上空を飛行中に直線と図形を発見する。

ライヒェは1940年にロング・アイランド大学(英語版)出身のアメリカ人考古学者ポール・コソックの助手となる。
1941年6月、コソックはナスカの直線が南半球の冬至点に収束することに気付き、ライヒェと共にナスカの直線の地図の作成を始め、天文現象との関連性を評価し始めた。

コソックが1948年にペルーを離れた後も彼女は仕事を続け、地域一帯の地図を作成。

彼女はナスカの人々がどのように大規模な図形を描いたのかを数学的に分析し、これらの図形に非常に洗練された高精度な数学が用いられていることを発見した。


地上絵の全景を見ることができるのは上空からのみであるため、彼女はペルー空軍の協力を得て写真調査を行った。

彼女は自説を “The Mystery of the Desert” という本に著し、巨大な猿の絵はおおぐま座を模したものであると信じた。

ライヒェは “The Mystery of the Desert” の利益を砂漠保存運動や、護衛やアシスタントを雇うために使った。

地上絵の一帯はパンアメリカンハイウェイから近かったため、道路による分断や様々な政府の開発計画から地上絵を守るよう提言したり、一帯への一般の往来を制限するよう政府を説得するなどし、自分の財産のほとんどをその運動に費やした。

一方で、ハイウェイの近くに塔を建設し、観光客が地上絵を見やすいようにもした。

彼女の業績が学術的に認められたのは限定的であったものの、ナスカの地上絵を国際的に知らしめることには成功した。

彼女のこの貢献により1994年、ユネスコはナスカの地上絵を世界遺産に登録した。また、彼女の死後には生前に住んでいた家が、マリア・ライヒェ博物館として公開された。

Wikipedia

考古学発見でいうと、トロイの木馬のシュリーマンが有名ですが、ナスカの地上絵に生涯の多くを捧げたマリアさん。

生前住んでいた家は「マリア・ライヒェ博物館」として公開されており、そこには彼女のお墓もありました。

ペルーにとっては有名な観光資産の一つで、僕たちも観光客の一人であったわけですが、ここにいたるまでさまざまな意思が介在し、ひとつの空間ができあがっていること。

その空間にも幾重もの歴史の層が折重なり、さまざまな物語が眠っていることが、少しだけわかりました。明日はいよいよ高度を上げ、クスコに移動していきます。



Follow me!