「フードジャーニー」ペルー編②〜首都リマから砂漠のオアシス、ワカチーナへ。

daily

今日からペルーツアーが本格スタート。

首都のリマから海岸沿いを4時間ほどかけて車で南下、古代遺跡が多く眠るイカの街のほど近く、砂丘のなかのオアシスにつくられたワカチーナまでやってきました。

一つの国にさまざまな気候が見られるというペルーの中でも、ここは有数の砂漠地帯。

植物が何も生えない、砂だけの世界にハイウェイが通り。。。

日本ではなかなかお目にかかれない光景が続くなか。。
車中、前のシートに座っていたレイアさんといろいろと話をしました。

思考という小さな枠のなかで生きている「わたし」という存在。

その不自由さを感じていても、枠から離れることがいかに難しいか。レイアさんいわく、「よほど馬鹿か、素直でないとつながれない世界があるのよ」。。。

ハイウェイを駆け抜ける車のなかで、「本当にそうなんだろうなあ」と実感。

で、少しだけ科学の世界の話と重ね合わせました。

細胞は受精卵から徐々に分裂していくなかで、もともと持っていた万能性を抑制し、「胃になる細胞」「筋肉になる細胞」といった具合に分化(=役割分担)していく。

それは人の社会ととてもよく似ていて、一人一人の役割分担は必要で、そこにある種の《抑制》が存在していたとしても、もともとは《万能》であったわけです。

このもともと有していた万能性を「愛」と言っているんだな。。

レイアさんと話をしているとそう感じるわけですが。。。それはただ善いものでも美しいものでもなく、いいことも悪いことも、美しいことも醜いこともすべてを包み込んだもの。

この世界のすべてが愛からできているのに、なぜ悪いもの、醜いものが存在するんですか?

そんな質問を受けることがあるそうですが、それって「万能性を有していた細胞になぜ抑制がかかり、有限の世界が生まれたのですか?」。。。僕にはそんな質問に聞こえてきます。

細胞分裂しているだけの菌たちには、時間もかければ、年齢も、寿命もない《永遠の存在》。

それで十分に生きてこられた「強さ」「完璧さ」を持っているのに、なぜわざわざ寿命なんてものをこしらえ、生と死という二元論の世界のなかに入り込んだのか?

「すべてがある世界では、逆に何も感じられない。愛でないものを体験するからはじめて愛がわかるように。。。」

でも同時に、愛を愛として感じることのできる世界は、その対極も含んだ二元論で成り立ち、人の意識を強烈に縛りつける。

その結果、いつしか人はこの二元論の世界に閉じ込められ、それが当たり前の世界だと思い、二元論の世界の向こう、陰陽を突き抜けたゼロの世界が見えなくなる。。。

ゼロの世界は、生物でいう時間という概念の生じる前、ただ活動だけが延々と続いている生命の領域。

人の意識に寄り添った言い方をすれば、それは、たましいの世界。

遺伝子によって「わたし」という存在にセットされること自体、このたましいの世界から離れること、つまり、たましいの世界を忘れてしまうことを意味するわけで。。。

生きるということは思い出すこと、もともとの設定を、設定した主体が何であるかを思い出すこと。

そんなパラドックスが生まれてきます。

旅は思い出すためのスイッチがたくさん用意されていて、僕たちは無意識のそれを求め、異世界に向かっていく。

異世界は空間的な横軸の広がりだけでなく、時間という縦軸の世界も交差し、そこに歴史や文化が海に浮かぶ小島のように、あちこちに点在していて、それもまたスイッチを押す材料になる。

ペルーの空間、ペルーの歴史と出会った、日本人の「わたし」。

そこに何かの約束があったのかな? 思い出すための。。

夕暮れ近くにワカチーナにたどり着いた僕たちは、用意されていたバギーに乗り込み、砂丘の中を疾走!

激しいアップダウンのたびに車体は大きく揺れ、あちこちで悲鳴が。笑

そうやってたどり着いたまっさらな砂漠のただなかで、ぼんやり見つめた夕暮れの景色。
旅のなかで仲間との何気ない会話、景色の移ろい、すべてが僕の意識の変化につながっているのを感じます。

明日はイカ、ワカチーナからさらに南下、有名なナスカの地上絵にお目にかかってきます。だいぶ夜更かししてしまったので、飛行機酔いしないよう、そろそろ寝ます。。

Follow me!